新疆ウイグル自治区

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1.新疆ウイグル自治区とは?

 中央アジアと呼ばれる地域は、通常旧ソ連を形成した中央アジア諸国であるカザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンとキルギスタンの5か国を指しますが、広い意味ではこれに中国の新彊ウイグル自治区を入れる場合があります。この地域には民族的に、遊牧系のカザフ人、キルギス人、トルクメン人、また定住民族のウズベク人とウイグル人、タジク人が住んでいますが、ペルシャ語系のタジク語を除くと、これらほとんどの民族がトルコ系イスラム教徒という特徴があるからです。言語的にもすべてアラビア語表記という点で共通していますし、使う言葉も互いに似通っています。

 このように、トルコ系イスラム教徒で構成されるウイグル族は、カザフスタン、キルギスタンなど、中央アジア東部との結びつきが強く、これらの地域は慣例的に「東トルキスタン」と呼ばれていました。

 東トルキスタンは清朝時代に乾隆帝によって征服され、「新たなる領土」という意味の「新疆」と名づけられましたが、かつて独立王国を築き上げてきたウイグル族は、当初からこれに抵抗します。特に1911年におこった辛亥革命で清朝が崩壊すると、彼らは独立を目指して運動を開始。そして1933年には東トルキスタン・イスラム共和国を、44年には東トルキスタン共和国を建国するに至ります。

 しかし、内戦を勝ち抜いた中国共産党が1949年に現在の中華人民共和国を建国すると、満州、チベット、内モンゴル、新疆を次々に再併合。新疆は、新たに新疆ウイグル自治区として統治されることになります。

2.中国の漢化政策と民族の対立

 再併合後のウイグル族は、チベット、内モンゴルと同様、中国の漢化政策の影響を強く受けることになります。中国への併合後、これらの地域では漢族の移住が相次ぎ、ウイグル族、チベット人、モンゴル族の占める割合が、年々小さくなってきています。ちなみに同様の問題を抱える内モンゴル自治区では、モンゴル族が占める割合が、全体の16%(約338万人)に減少していますが、ウイグル族のほうは、漢族との結婚などで純潔性が失われ、民族的には滅亡の危機に瀕しているとも言われています。

 このような危機的状況を撤回しようと立ち上がったのが、「東トルキスタン共和国」の再独立を目指すウイグル人過激派や亡命ウイグル人組織です。これらのウイグル人組織は、旧ソ連末期の80年代後半から中央アジアで活動を強化。ソ連崩壊後にはカザフスタンやキルギスタンなど、近隣のトルコ系民族運動の影響と支援を受けるようになります。90年代後半には暴動やテロ事件なども発生するようになりますが、特に97年に起こったグルジャ事件はウイグル人独立運動拡大の転機となりました。

 グルジャ事件は、カザフスタン国境の伊寧市(グルジャ)で、ウイグル独立活動家30名が中国当局によって処刑されたことがきっかけで起こった抗議運動ですが、逮捕当日がイスラム教の断食月ラマダーンの祈りの最中であったことがイスラム系住民を刺激してデモと暴動につながりました。中国当局はこの暴動を武力で鎮圧し、死者200名、逮捕者4000名を出すという大規模な事件に発展したのです。以後中国政府は4万人の武装警察を現地に滞在させて治安の維持に努めましたが、その後も1999年に首府ウルムチで「新疆独立」を唱える青年グループの暴動が起こったり、2008年にはホータン市で抗議デモが起きたりしました。

 2009年には首府ウルムチでおもちゃ工場に努めるウイグル人が中国人の襲撃を受けて多数の犠牲者を出した事件が発生しましたが、その中国人容疑者に対する処分が曖昧だったことに憤慨したウイグル人が抗議行動を展開。中国治安当局はそれを徹底的に弾圧して多数の死傷者を出しました。ウイグル騒乱と呼ばれるこの事件で火のついたウイグル人の反政府運動は、2014年のウルムチ駅爆破事件にまでエスカレート。当時ウルムチを視察中だった習近平主席は事態を重く受け止めて「対テロ人民戦争」を打ち出し、さらなるウイグル人弾圧を推し進めます。2016年には「新疆ウイグル再教育キャンプ」という収容所を作って徹底的な思想統制を行う一方、ハイテクを用いたシステムがウイグル人の日常の行動を徹底的に監視しています。ジョージ・オーウェルの小説「1984」で描かれた徹底的な監視社会を地で行くような非人道的な中国の対応が注目を集めました。

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